なぜ普通の男は人生に1〜2回の大チャンスを必ず逃し、しがない人生のまま おじいさんになって、歴史に一切名を残すことなく灰となって死ぬのか?後編
前編からの続き
私もごくたまに、大昔、いろいろな成功者の方に分けてもらったチャンスを、
今度は自分が与える番だと思って、
たまに、これから何かビジネスを手掛けようとしている方や、成功を志す方に、
なるべく、大小問わずチャンスを振りまいています。
しかしながら、対応が異なり過ぎて、やはり驚きます。
例えば、とある著名な億万長者の人との会合に、まだ何者でもない普通の人を誘ったとします。
ある人は全ての予定をキャンセルして「はい!行きます!ありがとうございます!!」と、
まだこちらが話し終えていないのに、ものすごい勢いで「イエス」を言います。
しかし、他の人は、「いや その日は 犬の散歩があるかもしれないので~」とか、
「参加費はいくらですか?コスパ良ければ行きます」とか、
「その著名な億万長者とは実際に誰なのか?本当にすごい人なのか?納税額や書籍などの証拠を見せてほしい」云々と、
こちらの好意を台無しにするような、無駄な事務を要求してきます。
もちろんそんな人にチャンスを与えるはずもなく、適当に話をそらして私はスルーせざるを得ません。
つまり、ここで言いたいことは、普通の人は人生で大なり小なり訪れるチャンスを、
ことごとく無駄にして、つまらない人生を過ごし、
いつもちょっとした不満を抱えながら、凡庸で刺激のない、未体験の感動や幸福をほとんど味わえない人生を送り、
そして最後は単なるおじいさんになって死にます。
半面、チャンスをつかむ人というのは、
どんなに貧しくてハンディを背負っている状況からも、
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たった一度や二度の思いがけないチャンスに一瞬で飛びつき、
他の人が真似できないようなスピードでその提案を実行し、
自らの望むお金や人間関係を得て、理想とする人生を構築し、
既存には存在しなかった、人を快適にするサービスを生み出して人類の幸せに貢献したり、
社会的なことはそんなに何かを与えていなくても、
一般の人がうらやむ、決して体験できないような、幸せで気持ち良くて楽し過ぎる人生を送ったりします。
そして、一つ残念なことなのですが、チャンスには、偽物も混じっています。
チャンスに見せかけて、何かをだまそうとする詐欺師のような人もいます。
本物のチャンスにのみすごいノリで、一瞬で飛び付ける人は、自らの望む人生を手にします。
どんなチャンスでも常に慎重で「えびでんす(=英語を話せない人はひらがな表記すべき)」ばかり求める人は、
だまされない代わりに何も得ることはできず、平均的でつまらない人生を送ります。
本物のチャンスはなぜか忌避して、詐欺っぽい話だけに思わず飛びついてしまう人は、
平均にも満たない、愚痴と不満に埋め尽くされた生涯を送るらしいです。
誰にでも平等に訪れる、人生に1〜2回の大チャンスを瞬時(=0.1秒ではなく、0秒)に見極める秘訣は、
自らの運命を変える勇気と覚悟です。
詳しく解説してしまうと、 廃墟不動産投資家ではなく宗教的指導者みたいになるので、
この辺りで記事を終えておきます!(written by 廃墟不動産投資家)