一億総「上」流社会
もう、ウォシュレットのある家庭を貧困世帯であるかのようにとらえるのは、やめたほうがいい。
ミネラルウォーターしか飲まない家庭は、下流なんかじゃない。
現代の日本において、1億総上流社会が実現していることは、以前の記事で述べたが、
あまりに一般の人々が上流過ぎて、
お金へのモチベーションやお金に対する欲望が弱過ぎる。
もはや私は、一般の人達とはまともに会話できないレベルになってきていると感じる(モチベーションが違い過ぎ)。
ダラダラ生きているつもりと思っていたが、
私のほうが、遥かにお金を稼ぐことに関してアグレッシブだ。
その差は一般人(1億総上流社会の平均的な人)と比較して約20倍位あると思う。
多くの方が、
お金とか得することに対しての意志や思い入れが、あまりにも弱過ぎる。
例えば、年収(戦闘力)20,000,000ある私と、年収(戦闘力)200万しかない人と、
10分労働で1万得する案件があった場合、
年収200万の人は
「そんなの、だるい、面倒くさい」
と言って見向きもしないのに、私は飛びついたりする。
例えば、思い起こすと、去年、1時間半ぐらい時間をかけてとある書類を作れば15万もらえる、みたいな案件があった。
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私は、時給が100,000円には全然満たないので、その案件は即時にやろうと決めた。
もう一つの例では、聞いた話だが、ある観光地で、日本人ボランティアさんが、台湾人観光客を案内していたらしい。
私のコンサル生さんも、その台湾人と一緒にいた。
その台湾人が、案内の感謝の印にチップ1万を差し出したところ、ボランティアさんは頑なに受け取りを拒んだそうだ。
お互い、
「渡したい VS 拒みたい」
の応酬が続いたので、仕方なく私のコンサル生さんが代理に受領したそうだ。
この話を聞いて、多くの人は、
「自分が何もしていないのにチップのお金を受け取るなんて厚顔無恥だ!」
と思われると推測する。
しかし、私の場合でももちろん受け取るし、
そもそも、そのほうがその場にいる3者が全員幸せになるから、それがベストな選択なのだ。
今の時代、みんな豊かになり過ぎて、お金では動かなくなったのは良いことだが、
逆に、お金を払うことに関しては、異常にケチな人が多い。
私は、京都~大阪間では常に特急か新幹線に乗るし、
JR東日本でもグリーン車両があったら必ず乗っている。
毎日ランチが5,000円でもディナーが10,000円でも、一切気にしない。
もしかすると、5,000円のランチより3,500円のランチのほうが美味しい場合もあるかもしれないが、
基本的にはだいたい美味しさは値段に比例するので(景色とか環境とか客層とか全て含めて)、そんなに迷わず高いほうを選ぶ。
世間の人々は、あまりに豊かになり過ぎて、お金を得ることに興味が無いのに、
お金を支払うこと(※自分が快適になる場合に限定される)にはすごく躊躇するのはなぜなんだろう??
このような、摩訶不思議な民衆の経済的行動心理について、
私は観察と研究を続けていきたい。
「とにかく儲かることが嫌い」
「自分が快適になるためにお金を出すのはもっと嫌い」
という2つの点は、全く共感できないものの、民衆の経済的行動パターンの基本として深く理解している。
この行動パターンを活用して、もっと楽してもっと稼ぎたいと思う。
もちろん、相手を幸せにしながら、稼ぐのだ。
単に喜ばれるとお金は稼げる。
その点は非常に重要だから、いつも意識しておきたい。
Comment
私も、お金に対する間違った考え方をする人はお金持ちになれないと思います。
一般人は「お金=悪い」というイメージが強すぎますね。
なぜか世間の人はいいものを悪いという習慣があります。
お金は悪い。セックスは悪い。遊ぶことは悪い・・・。
お金がなかったら物々交換になっちゃうし、セックスや遊びがなかったらみんなノイローゼになっちゃいます(笑)。
お金やお金をたくさん稼ぐことが悪いのではなく、大事なことはお金を通してどれだけ人のお役にたったか、どれだけ人に親切にしたかだと思います。強運のドミノを自分から倒した時に初めて人生は開かれます。