「意地悪じいさんと、猫と犬」
1時間前に私が作った寓話を紹介します。
タイトルは、「意地悪じいさんと、猫と犬」です。
ある日のある町に、意地悪なおじいさんが住んどりました。
おじいさんは、猫のことを大層嫌っとりました。
そこでおじいさんは、「猫め、コンチキショウ」と言って、
野良猫を捕らえては、段ボールの箱に閉じ込めました。
おじいさんは、自分は狭いところが嫌いなので、
猫を苦しめようとして、意地悪なことを猫に実行したのです。
そして、おじいさんは犬のことは好きだったので、
タキシードを着せたり、靴をはかせたりして大切に扱いました。
おじいさんは、自分は着飾ることが幸せなので、
犬を喜ばせようとして、親切なことを犬に実行したのです。
さて、段ボールに入れられた猫とタキシードを着せられた犬はどうなったでしょうか?
猫は、大好きな段ボールの中で気持ちよくゴロゴロとのどを鳴らしていました。
犬は、自身にとっては意味不明な服を着せられ、気持ち悪くてもがきながら「ワ、、オーン、、」
と悲しげに吠えていました。
この寓話は、相手の好きなことと自分の好きなことは全然違う、
という教訓を伝えてくれています。
自分が良かれと思ってしたことが人に迷惑をかけ、
他人に失礼だと思っていたことが実は喜ばれているケースもある、
という例が世の中にはかなり多いのです。
例えば、他人からお金を取ることは相手を苦しめることで、
他人に無料でサービスすることは相手を喜ばせることだと思っていた場合、
実は、全く同じ内容を伝えるにしても、
有料相談のほうが無料よりも安心されて有り難がられます。
他にも、例えば、恋愛の場合、
女性にモテるために、チヤホヤすれば相手に喜ばれ、
邪険にすれば嫌われる、と思っていた場合、
実は、チヤホヤした美人には完全スルーされ、
邪険に扱ったどうでもいい女性から惚れられてしまいます。
昔、私がまだ20歳だった頃、
とある営業マンからビジネスの紹介でカフェに行ったとき、
「メニューは何でも頼んでください、僕が払いますから」と言われました。
コーヒーは800円なのに、キャンペーンでワインが500円だったので、
そのワインを頼んだら、営業マンは急にものすごくけげんな表情に変わり、
「まだ社会人になってなくても、そういう注文は絶対ダメだ」と注意を受けました。
「打ち合わせ中に酒を飲むのは失礼過ぎる」ということでしたが、
自由意思の制限を納得するのが困難でした。
私は、相手が自営業者だから、カフェ代のことを考えて、
できるだけ安いものを注文しただけだったのです。
私にとっては「相手の経済的負担を少なくする」のが親切な優しさで、
相手にとっては「仕事中には決して酒を飲まないこと」が金科玉条的ルールだったのです。
つまり、今日の記事でお伝えしたいのは、
自分が喜ぶことと相手が嬉しいことは全然違っていて、
自分が嫌なことも相手がつらいこともかなり異なる、という現実です。
自分が喜ぶことを相手にやってみても無意味だったり、
自分がすごく嫌なことでも相手は笑顔になったりするのです。
自分は、「不動産は価値のある資産である」と思っていても、
相手は、「こんなボロ屋は単なる粗大ゴミだ」と認識していたりするので、
常に相手の立場を想像してみることが、
何事においても余りに極めて大切なことなのです。
自分自身、「これは強制労働だな」と思うような作業でも、
相手にとってはお金を払ってでも体験したいことなのかもしれません。
意味、分かります?(written by 廃墟不動産投資家)