コロナウイルスと、人が生きる意味について
述べるまでもなく、世はコロナウイルス一色になりつつあります。
そうした光景を目の当たりにし、
私は根が哲学的な人格なので、つい、人が生きる意味について考えてしまいます。
普段、多くの人は特に目標も掲げず、
生き甲斐もさほど持たず、一分一秒を大切に使わず、
誰かのために力を尽くす訳でもなく、
常にこの世に生を受けたことの喜びをかみ締めるわけでもなく、
日々をダラダラ、昨日と同じことをして過ごしています。
しかし、コロナウイルスのような深刻な危機が差し迫ると、
みんな必死になって、マスクしたり外出を控えたり、
待ちに待ったイベントを断念したり、
あらゆる手段を使って自らの身体を守ろうとします。
それは、家族や愛する人がいたり、社会的な使命を持つ人であれば当然なことですが、
そうではない人も、必死になって身を守り、何とか生きようと行動します。
家族や愛すべき人が誰もおらず、社会的な使命も特に持たないじいさんも、
ウイルスから自身を守り、何としても生き延びようとあれこれ力を尽くすのです。
ここで、「そもそも人はなぜ生きるのか?」という疑問が浮かびます。
家族や愛する人を守るために生きるのは、
誰もがすぐに納得できます。
そうした人がいなくても、社会的な使命を持っているなら、
もちろん、同じく生きるために力強く行動することは深く理解できます。
しかし、そうしたことが何もない人も、やはり生き延びようとするのです。
実は、私はその疑問に対する明確な答えを持っています。
それは、人間のみならず、生物とは全て、
単純に生きること自体が目的なのです。
分かりますか?
何かのため、誰かのために生きているのではなく、
生きるために生きているのです。
つまり、生きるために何か特定の目的とか意味とか使命が存在するわけではなく、
ただ、生きるということ自体が目的であり、
生物にとって、生きることこそ最大かつ唯一の価値なのです。
コロナウイルスも広い意味では生物であり、
ただ生きるためだけに生きています。
決して、「人間を苦しめる」「世界の経済を不況に陥れる」ためではありません。
それはコロナウイルスの目的ではなく、
単に生きるという目的を果たした後の結果・影響であるだけです。
この話は難しいですよね。
私のブログの読者さんでない限り、
間違いなくさすがに誰も理解できません。
なので、もう少し簡単にまとめると、
微生物や動物も含め、生命体の生きる目的とは、
生きることそれ自体にあるのです。
このことを理解できれば、
どのようなクズ人間や不良や精神異常者に対しても、
全ての人に対して基本的には優しくなれるはずかと思い、
このブログでお伝えしてみました。(written by 廃墟不動産投資家)