空間は金なり
「時は金なり」とは成功者っぽい言い方ですが、
いやいや、それはまるで時給の人の発想です。
では、「時」は何と等しいと考えるかについて、
私は、「命」だと答えます。
時間とはすなわち人生そのものなので、
「時は命なり」です。
その考えは、例えば、100年生きられるが刑務所から一歩も出られないのか、
世界を自由に旅できるが70年しか生きられないのか、
どちらが好ましいのかを考えると理解しやすいでしょう。
天文学的に低い確率のために、高校球児の夢や若い人の学生時代の思い出を奪った、
日本社会の2020年の高齢大衆による強迫的な自粛は本当に断罪されるべきだと個人的に強く思っています。
さて、「時は金なり」の、「時」の代わりに何が入るかを考えると、
私は「空間」だと答えます。
それは、不動産を手がける者として常々痛感しています。
心が貧しく、経済的にも貧しい人の部屋は、
隅から隅までモノやゴミで埋め尽くされています。
たいていの場合、すでに部屋の床は全く見えておらず、
かろうじて、廊下の歩く部分のみ少し空いている程度です。
大量のモノを持っていても、きっちり収納していれば部屋は何とかきれいに使えますが、
心が貧しく、経済的にも貧しい人はモノもゴミも何もかも、
床へ無造作に置いています。
例えば20平米で家賃6万とすると、1平米あたり0.3万です。
20平米のうち18平米をモノで埋め尽くしていると、
毎月54,000円をモノの保管料に使っているのと同じです。
モノとは、家賃を減らしてしまう、マイナスの価値しか持っていません。
分かりやすい例を出すと、部屋の片隅に全く使わないマッサージチェアを置いていると、
その2平米の分の家賃を毎月トイレに流しているのと同じなのです。
1平米あたり0.3万とすると、毎月千円札6枚をトイレットペーパーとして便器に流しているのと何の違いもありません。
私は昔から、モノ=家賃、つまり空間=金だと直感的に悟っていたので、
徹底してモノは購入せずにレンタルで済ませ、
金を使うのはもっぱら経験とか消費に限っています。
モノは家賃だけではなく後々に清掃代やごみ代にも跳ね返ってきます。
「時は金なり」ではなく、空間こそが金であることを、皆、知るべきです。
田舎の広い家は多くの場合、モノだらけで何部屋もつぶれています。
都会では、8畳のワンルームなのに実際には1畳分しか使えていない一人暮らしの男性が非常に多いです。
必要最低限ではない物と、心を動かされない物は完全に不要なのです。(written by 廃墟不動産投資家)