ビックリマンチョコで語るビジネスの要諦
去年の3月、日本ではマスク真理教が国民の多数に広まっていた頃、
私はウクライナの首都キエフの地で、
たまたま散歩していた軍の基地っぽいエリアから公共バスに乗り込み、
いつも熱心に視聴していただく300人ほどの方々のために、
YouTubeの自撮りを始めたのですが、
乗客からすると謎のアジア人から実況中継のように撮影されていると思われたのか、
「おい、何撮ってんだ、やめろ!」のように怒られたので、
しゃべることは途中で中止せざるを得ませんでした。
そのYouTubeは少しの間しか公開しておらず、
ご覧になった方はかなり少数だと思います。
そのときの話を記事として書き起こします。
まだ昭和の時代だった、自分が小学校低学年の頃、
ビックリマンチョコのシールが大流行していました。
皆、ビックリマンチョコのお菓子よりもシールに夢中になっていました。
しかし私は、皆とは逆で、シールよりお菓子の味が大好きでした。
そこで、需要と供給という言葉は知らずとも、
無意識的にその概念はしっかり理解していた私は、
30円のビックリマンチョコを10個買って、
中身のお菓子を全部食べて楽しんでから、シールを10枚きれいにそろえて300円で売っていました。
また、当時は新聞に入っていたチラシのほとんどが片面印刷で、
裏が白紙でした。
貧困家庭とは程遠かったにも関わらず、
私は広告の裏の白紙をホッチキスで綴じてノートを作っていました。
鉛筆や消しゴムも、学校の廊下や砂場にたくさん落ちているので、
それを拾って使っていました。
つまり、必要最低限の文房具ですら全然お金を使いませんでした。
そうした私の小学生からの行動は、現在の廃墟不動産投資や物件無料ゲットの事業に受け継がれていると思います。
小学生時代の私の行動からは、
仕入れがゼロということと、皆が見向きもしないものに価値を与えているということの2点が特筆されます。
ちなみに、こうした幼少期のストーリーは、
家が貧しくてとても苦労したかのような美談に捉えられがちですが、
全くそうではなく、単にもったいないからやっていただけです。
むしろ、貧困家庭であればあるほど、ビックリマンチョコや鉛筆などを捨てていた傾向が強いと予想されます。
副業や新規起業などビジネスを考えている人には、
ぜひ、仕入れがゼロということと、
皆が見向きもしないものに価値を与えているということの2点を意識してみてください。
間違いなく、決して損しません。
10万の商品を12万で売るのは難しいですし、売れなければ損します。
しかし、無料で仕入れたゴミを、工夫して1万で売るのは意外と可能ですし、
売れなくても損失はゼロです。
例えば、すごく小さいことですが、
私はよく、ボロ屋で一瞬でワンポイントのインテリアを作ります。
台所にはほぼ必ず汚いグラスが落ちていますし、
外には雑草が生い茂っています。
グラスを水洗いし、花が咲いた雑草を添えるだけで、
ちょっとしたおしゃれなインテリアに早変わりします。
他にも、庭のゴミの中から植木鉢を取り出し、
大きな雑草を埋め込むと観葉植物として飾れます。
雑草はたいてい生命力が異常に強いので長い間、水やりが不要です。
こうした経費のかからないアイデアを何十、何百も積み重ねると、
仕入れが無料なのに一端の商品が出来上がってしまうということなのです。(written by 廃墟不動産投資家)