教わりたい人より教えたい人が多い事象
不動産投資でも成功ノウハウでも、
副業などのコンサルや女性を対象にした人生を変える感じのフワッとしたジャンルでも、
今はコンサルタントや先生や講師や著者が次々に登場し、
いわゆるサロンや塾やコンサルやセミナーが激増しています。
例えば、私の友人が主宰している不動産系の高額クラブでは、
そこで学んだ生徒が、自分が不動産投資するのではなく、
不動産投資での稼ぎ方を教える塾を開き、
さらにそこに入った人が新たにオンラインで不動産で儲けることのコンサルを始めたそうです。
そんな具合で、教わる人が教える側にまわり、いつの間にか、
教わりたい人よりも教えたい人のほうが多くなってしまった業界も出てきたようです。
とある著者さんの出版記念パーティーに顔を出させてもらったときのことですが、
そこに来ていたのはすでにコンサルや塾などを開いている、
いわゆる教える立場の人ばかりで、
その著者さんのように成功することに憧れる、
いわゆるごく普通の教わりたい人の数を明らかに上回っていました。
そこでは、教わりたい人のまわりにたくさんの数の教えたい人が群がり、
まるで公園に来ている暇なおじいさんが投げ入れたパンの切れ端に鳩が集まってくるような光景を目にしました。
その結果、教えたい人、すなわち、コンサルタントや先生や講師や塾長達は競争が激しいためにあまり稼げなくなり、
そのような人達にお客を集めるためのマーケティングの会社や広告のプロなどばかりへ仕事の集中する状況が生まれています。
不動産投資のジャンルを含め、各種の成功ノウハウを教えるようなコンサルタントや先生は、
将来性の低い、賞味期限の短い仕事に変わっていっています。
私は、スクールの講師やコンサルも受け付けていますが、
常に生徒さんに対してやや偉そうであり、
おかしいことはおかしいと言い、やる気のない人にはすぐに厳しいことを指摘します。
そのため、時々すごく嫌われたり、陰口を言われたり、
ぬるま湯の中でしか生きていない人の場合、メンタルを軽く病むこともあるそうです。
しかし、それは、教わる人のことを真剣に思って事実を率直に伝えています。
他の講師やコンサルタントは、お客さん、すなわち生徒さん達に好かれて、
もっと受講生を増やすため、つまり自分の収入を確保して増やすために、
気を使って褒めたり、間違ったことでも肯定してあげたりしています。
そして、日々、SNSや広告を使い、
「私はこんなことができます! 私にぜひ、教えさせてください!
こんなサービスもお付けします! なにとぞよろしくお願いします!」
と、教わりたい人をあちこちで探しまわり、
見つけたら必死に、自分がいかに教える人としてふさわしいかをPRします。
このことは、師匠と弟子という言葉に置き換えると、いかにいびつな構造なのかがよく分かります。
例えば、陶芸を教わりたい人が、陶芸分野の人間国宝の古風な邸宅を訪れ、
「私はこんなことができます! 私にぜひ、お教えを授けてください!
あらゆる雑用でも靴磨きでもなんでもさせていただきます! なにとぞよろしくお願いいたします!」
と頭を下げるのは、ベタに自然に思い浮かぶシーンです。
しかし、もし陶芸分野の人間国宝が、陶芸を教わりたい人のワンルームマンションを訪れ、
「私はこんなことができます! 私にぜひ、教えさせてください!
返金保証サービスもお付けします! なにとぞよろしくお願いします!」
と頭を下げていたらどうでしょうか?
教わる人と教える人との関係はそもそも、
前者が必死に教えを請い、後者がその熱意を認めて許可するという性質を持っています。
教える人が教わる人を探して自己PRしているのは、停滞した経済が生み出した歪みです。
もしも本当に真剣に教えることを仕事として選択したいのならば、
教えたい人に教えるような、教えるカリスマにならねばならないというわけなのです。
今春の名言
「パンがないならケーキを食べればいいじゃない」
という「迷」言は、
日本の高齢者においては真実だ
ほとんどの高齢者は、実際より極度に貧乏に振る舞い、
お金を持っていないふりをする
というか、すでに老後なのにさらなる老後を不要に心配し、
貯金を無視して収入の低さにより自らの豊かさを勘違いしている
すなわち、貯金5300万の高齢者が年金の減額を真剣に嘆いている
2023 03 28 廃墟不動産投資家(written by 廃墟不動産投資家)