社会問題ではないことが社会問題として取り扱われること自体が社会問題です
幸いなことに、私のブログや発信をパーフェクトに愛読してくださる方が、
把握している限り、10~20人ぐらいおられます。
私自身より、私が以前に書いたり話したりしたことに明らかに詳しくて驚きます。
「鳩にエサを与えるとき、
村上さんは縦・横・奥が15センチの立方体の食パンを塊のまま投げていましたね」
「ロシアで銅像を背に解説されていた投資の話は完全に有料級です」
など、私が自分では覚えていないことも非常に細かくリマインドしていただけます。
私にとって貴重な方々から、何かブログで取り上げるようリクエストされた場合は、
ときどきここで記事としてお答えしています。
そういう方々のお一人から、今回は、このメディアの解説についてどう思うか、リクエストされました。
実は、もうタイトルを見ただけでだいたい内容の予測がついてしまったので、
失礼ながら、全く読まずにいきなりここで、あまりに核心を突いた感想を述べます。
貧しくむなしく不幸せに生きる男性が、政府や大企業や億万長者や行政に対して不満を述べているのかもしれませんが、
その場合、極端に的外れな捉え方だと思います。
衰退しつつある日本ですが、
貧しい人に対するセーフティーネットはいまだに立派な一流国です。
問題は、そこではありません。
このような、誰かが貧しくむなしく不幸せに生きている暮らしが記事として取り上げられ、
閲覧数が伸びて広く拡散すること自体が問題です。
すなわち、社会問題ではないことが社会問題として取り扱われること自体が社会問題です。
具なしのチキンラーメンをご馳走と呼ぶ月収15万の男性は、確かに日本では貧しいのは間違いありませんが、
地球全体で見ると大変恵まれた生活を送れている状態です。
これは、楽しく創意工夫して生きる意欲が非常に低いという、個人の資質にのみ紐付けられた、
社会経済とは全く別の、単純なメンタルの分野に起因する問題です。
本当の問題は、月収15万の男性が日々を貧しい気持ちで送っている暮らし自体ではなく、
日本における世間の一般の人民が、
この記事に紹介されているような、幸福度の低い者の窮状を知って安心していることなのです。
「オレの生活もいつもつまらなくて本当に嫌になるけど、こんな奴と比べたら随分とマシだな」
と思う男性のパーセンテージが高いからこそ、閲覧数が伸びて広く拡散するのです。
具なしのチキンラーメンをご馳走と呼ぶ月収15万の男性が愚痴を言っているとしても、
おそらく、それは取材されたときの非常に限られた一時的な感情であり、
実際は、毎日をネットで無料のエロ動画を視聴し続けオナニー三昧で生きていると推測します。
そのような人の暮らしは、1年のうち4分の1は世界を自由に駆け巡っているような私を含め、
現実世界を充実させている者から見ると、気持ち悪くて哀れに見えるかもしれませんが、
当の本人からすると、画面の前だけとはいえども、延々と性的に興奮して部屋に引きこもっているのであり、
あながち不幸とは感じていないものです。
あくまで私が勝手に推測を重ねているだけですが、
アフリカの貧困国で月収100ドル未満の青年が笑顔で走り回っているのと同様、
はたから見るほど、そんなにつらい気持ちで生きているのではないと予想します。
むしろ、このような何も本質的には問題ではないことが記事として紹介され、
それが多くの人に読まれてしまい、閲覧数が伸びるのは、
日本における一般の男性の人民が、ついつい自分よりも不幸な者を探し、
ネガティブな情報を見て安心してしまうからです。
そのことこそが、とても忌まわしい社会問題であると言えます。(written by 廃墟不動産投資家)