現代における社会不安の本質 by廃墟不動産投資家
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人間界の限界値を超えたとも言える、安全極まりないこの日本社会で、謎の社会不安がひどく蔓延しています。
私はその根底に、過剰な平和状態によって生命至上主義が強まったところに、
マスコミの暴走が無限ループしてしまったという原因を見ています。
マスコミの暴走の部分は昭和前期の大東亜戦争と同じ構図です。
「戦争は負けている場所と勝っている場所がある」と報道する新聞や政治家は炎上し、
「戦争はどこも全部勝っている」と発表する媒体や専門家ばかり支持されるので、
誰も、「日本は負けている」と言えなくなりました。
「コロナウイルスは普通の風邪です」と報道する新聞や政治家は炎上し、
「コロナウイルスに感染すると、もがき苦しみ死んでしまう」と発表する媒体や著名人ばかり支持されるので、
もはや誰も、「コロナなんて風邪以下だよね」と言えなくなりました。
安全で安心できる社会が人類史上類を見ないレベルで長年に渡って続き、
大衆の過保護と人権が極限まで肥大化した結果、コロナ社会で一気に社会常識やマナーが書き替えられました。
大企業の社員やサービス業に従事する人々は、高確率でもう永遠にマスクし続けることが確定しています。
反社と見なされたくないほとんどの一般人も、おそらく死ぬまでマスク生活です。
コロナ報道が完全に消えたとしても、マスクしない人は、違法ではないがはみ出し者と見なされます。
ちょうど、金髪や入れ墨の人と同じような扱いです。
今は、誰かが誰かを殴っただけでトップニュースになります。
高速道路で前の車を「ゴルゥラァ!!」とあおったおじさんは、
執拗に極悪非道な殺人鬼のような扱いを受けました。
メディアはバイトテロですら大騒ぎします。
例えば、ソフトクリームの機械の下に顔を入れて直接口に入れる、
という軽いいたずらでも報道が過熱し、まるで硫酸の毒薬を客にばらまいたかのような残忍な行為として糾弾されます。
40代の私からすると、そんなことは昔なら当たり前というか、
もっとひどいことを割とそんなに悪くない輩でも普通にやってたし、
私が高校生のときは、「調子に乗っているように見える」というだけで、
頻繁に、見ず知らずの野郎に突然殴られたり、傘で急襲されたり、
夜道のトンネルを歩いたらすぐに集団で絡まれたりしていました。
もちろん、「ゴルゥラァ!!」と叫ぶおじさんも、いたずらするバイトの大学生も褒められるわけではありませんが、
そんなことだけでも大騒ぎするほど品行方正が進み過ぎた社会は、逆に住みにくいです。
25年前、学校で一番悪い奴は、JRの車内で酒を飲みながらタバコを吸い、
チラ見したサラリーマンを「何見てんだゴルゥラァ!」と言ってうまい棒をその人の顔にすりつぶしていました。
明太子味の粉が顔に大量に付いたそのサラリーマンが心底恐ろしそうにしていたのを覚えています。
そんな生徒は普通にいっぱいいました。
2021年の学校で一番悪い奴は、校門を出たらマスクを外し、自転車に乗るのにヘルメットを被らず、
紙のゴミをペットボトルのゴミ箱に捨てます。
すなわち、2021年の学校で一番悪い奴は、25年前の学校で一番真面目な奴よりおとなしく品行方正になっています。
「白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき」
とは、230年の歳月を経て、令和から平成を懐かしむ狂歌に思えます。
2021年、メディアがどんなにあおろうが、コロナウイルスで重症になるような人は、
ほとんどが70代以上で、元から病気がちで寝たきりや介護状態であることは、
統計上、揺るがない事実です。
すなわち、家に閉じこもって何でもオンラインで全てを片付けて「90」年生きるより、
毎日外に出て換気の悪くて狭い店で飛沫を飛ばしていろんな人と語り合って「70」年生きることこそ、
本来の人間です。
私がこのようなことを主張しても専門外の戯れ言でしかないので、
一人でも多く、医師の方々には自らの職を賭けて、この哲学的な真実を主張してもらいたいと願っています。(written by 廃墟不動産投資家)